【7月26日 107日目 前編】青森歩兵第5連隊に想いをはせる…
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この旅で最初に出会った日本一周チャリダー 福田くん
皆さん覚えてくれていますか?
彼との出会いはこちら👇
【4月25日 15日目】串本町→田辺市 ついに出会っちゃいました❗️しかも… - 日本一周✖︎ケッタ✖︎ボランティア
彼は6月頃から一旦 旅を中断しておりました。
その彼が先日から旅を再開し、現在は鳥取県日本海側沿いを北上中
しかも中々のハイペースで進んでいる模様
( ̄∀ ̄)
ワテにとっては、初めて出会ったチャリダーだから思い入れがある訳で、再開を聞いて1人喜んでおったわけです(笑)
福田くん、お互い無事に旅を終えれるよう、楽しんで気張っていきまひょー
✌︎('ω')✌︎
さてさて
今日は 青森に来たら一度行ってみたかった
八甲田山 を訪れますよん!
八甲田山… 山ですな、はい。
でも、ただ山を見に行く訳ではござーません!
私がしたいのは、
青森歩兵第5連隊が行なった、雪中行軍(せっちゅうこうぐん)所縁の地を巡る事
↑こちらの銅像については、後ほど説明を。
2年ほど前、マネジメントの勉強の為、
新田次郎 作「八甲田山 死の彷徨」
という小説を読みました。
実話を基にした小説で、
その昔、日露戦争が厳しい戦いになると想定し、その訓練の為に行った 八甲田雪中行軍。
この訓練て、
210名中、199名もの方が亡くなった、世界最大級の山岳遭難事故
を題材にしたものです。
「八甲田山」というタイトルで、高倉健、北大路欣也 主演で映画化もされています。
20キロ先の目的地を目指します🚴♀️
市内から県道40号を八甲田方面へ進みます。
この県道40号が雪中行軍を行ったルートと重なっており、この道を進めば所縁の地を巡る事ができる訳です
この看板あたりから、銅像までは ひたすら緩い登り坂(^_^;)
まずたどり着くのは、幸畑にある
雪中行軍遭難資料館 と 隣接する 陸軍墓地
資料館は残念ながら 開館前。
正面 右が 小説で主人公になった 神成大尉
(かんなり たいじょう)のお墓です。
大尉は 名前じゃなくて、軍の位ね。
雪中行軍は 厳しい訓練であったのは間違いありませんが、大惨事になったのは準備不足などが原因と言われています。
同じ時期、準備を念入りに立て 訓練にのぞんだ別の隊は、全員無事に踏破を果たしています。
墓地を後にし、必死に坂道を登ります(-。-;
何もない ただの山道ですが、時々現れる 案内板に 田茂木野や、小峠、大峠 などの小説と同じ地名が出て来て、実際にこの辺りを通ったんや と実感する私。
最初に登場した銅像の方が 後藤伍長で、この場所で雪に埋もれ、銅像と同じような立ち姿のまま仮死状態で発見。
救出、蘇生され、一命をとりとめたそうです。
そして、後藤伍長はじめ、救出者の証言により、事故の全容が明らかになっていったそうです。
銅像茶屋に到着🚴♀️
裏手に少しいくと…
後藤伍長の銅像があります。
なんだか感慨深い…
後ろに見えるは 八甲田山
実は 八甲田山 と言う独立峰は存在せず、複数火山の総称だそうです。
茶屋には雪中行軍に関する資料館が併設しており、200円で見学できます。
館内には当時の貴重な資料が展示されており必見です。
今の私と同じ、32歳で亡くなりました。
劇中で 神成大尉を演じる 北大路欣也さんの名台詞「天は我を見放した」は、実際に神成大尉が同じような言葉を使ったとか。
よく見ると、皆さん手足がありません。
助かるためには凍傷した手足を切断せざるおえなかったんですね。
銅像茶屋の前にある、この日の案内板
ただただ良い天気!
こんな雪深い中で、訓練したのかと思うと恐ろしです。
銅像茶屋のとても気さくな 社長さん
古くから ここを経営され、映画撮影の際には、高倉健さん達もここを訪れ、資料で当時の勉強をされたそう。
ねぶた祭の審査員もされているそうで、お祭りの際には またお会い出来るかもしれません(´∀`)
雪中行軍は この銅像茶屋がある辺りまでしか進行していないため、所縁の地を巡るのはここまで。
次なる目的は 八甲田山登山❗️
続きを書きたいところですが、
だいぶ長くなりそうなので、ここで一旦ブレイクタイム(*´∇`*)
ではでは、また後編でヽ(・∀・)
《今日のまとめ》
出発地:青い海公園(青森市)
走行距離:35キロ
総走行距離:6285キロ
食費:220円()
その他 雑費:1000円(キャンプ場代)
以上どす
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